神様からのギフト

「才能」について考える。

陸上部のない中学で
学校対抗駅伝の代表になったことはあったけど、
体育祭の花形種目のリレーとは無縁。

小・中と続けた野球。
ショートバウンドを後ろに逸らすことが
少ないことだけが取り柄の細身の一塁手
ボールを遠くへ飛ばす才能とは無縁。

高校・大学と続けたラグビー
どのポイントにも必ず顔を出すスタミナが取り柄の第三列。
華麗なステップやロングキックを蹴れる才能とは無縁。

スポーツをする人を
翼のある者とない者に分けたら
まぁ、明らかに後者だなぁ(苦笑)。

・・・

15年ほど前から始めたトライアスロンという競技。
長い間、ラグビーのフィットネス維持のための
ツールという位置づけだったけど、
ロングディスタンスの人気大会に当選してしまったこともあり、
たぶんいままででいちばん真剣に練習に取り組んでいる。

技術的な練習はもちろん必要なのだけど、
絶対的な距離に対応するために、
低心拍数での単調な長時間のメニューが多い。
わりと飽きっぽいほうだと思っていたのだけど
実は、こういうことに取り組むことが、
それほど苦にならないことに最近気付いた。
ある心理学者によれば、
自分の能力に見合った挑戦に没頭しているときが、
いちばん人は成長するらしいのだが、
レースでタイムを縮めたりすることより、
そこに向かって、準備を積み重ねることが
好きなんだろうな。
まぁ、才能とは呼べないけど。

そしてここ数年、
人から贈られた言葉や思いを
自分の力に変換する能力が磨かれた気がする。
20年間大事にしていたものを手放して、
51.5kmの外に一歩踏み出した途端、
急に世界が広がって、
いろんな人からたくさんのものをいただいている。
この前のフルマラソンでも、
自分の実力なんて大したことはなくて、
すれ違いながら励ましあった仲間の存在や
沿道の応援やボランティアの方たちの献身や
スタートラインに立つまでに関わってくれた
人たちの思いで走り切れた気がする。
もちろん、外から影響を受けるだけでなく、
2011年の3月以降、
与えられた時間は命なのだということを
強く意識するようになったこともあるだろう。


本当は翼が欲しかったけど、
才能とも能力とも言えるかどうかわからない
神様からのささやかな贈り物を大切にしよう。

宮古島トライアスロンまであと1カ月。
胸を張って好きだと言えることに、
日々全力で取り組める環境に感謝する。
そして、
鋼鉄のカラダを手に入れることはたぶん出来ないけど、
決して折れない鉄のハートを創りあげよう。


決めたことだけが実現する。