このスタジアムにはストーリーがある

「聖地」という呼び名は、単にいちばん有名な場所なんていうことではない。
ここ数日、ニュースでしきりに「ラグビーワールドカップに間に合わせるために云々」
というフレーズを聞く。
間に合わせなくていい。
時系列からいって新国立とワールドカップはセットで語られるべきものではないし、
決勝トーナメントに相応しいキャパの競技場は既にある。
そして何より開催地のひとつである東京都には秩父宮ラグビー場がある。
どうも、神宮球場とセットで建て替えるという建前の下、
2020年には駐車場になってしまうらしいのだけど。

ラグビー関係者が秩父宮を聖地と呼ぶのには理由がある。
以下、明治大学の元監督、故北島忠治氏の「前へ」より。

敗戦後の苦難と闘いながらも、僕たちはラグビーに対する情熱だけは決して捨てなかった。「どんなに苦しくても「必ず再開しよう」って、来る奴来る奴と誓い合った。苦しい時だからこそ逆に、ここで耐えてみせようという気概が、その時代のラガーマンの共通の気持ちだったんだ。
戦後間もない9月13日には、既に関西では戦後初のスポーツゲームとして三高(現在の京大)対関西倶楽部の試合が開催された。会場の京大グラウンドには千人以上もの客が押しかけたそうだ。こんな時代だから、いろんな批判や反対妨害もあったけど、この試合はいろんな意味で多くの人に勇気とか希望を与えたんじゃないかな。
もちろん、この試合の様子は、すぐ日本中のラグビー関係者に伝わって、関東でも一日でも早い再開をと、多くの人が駆け回っていたなあ。関東での戦後初の試合は、その約1カ月後の11月2日、成城高校のグラウンドで行われることになった。僕は試合の前日まで、農耕の重労働をしていたから、とてもプレーする体力なんか残っていなかったけど、それでも「さあ行くか」って元気よく出かけていったよ。
当日は5、60人ほど集まったかな。20分ハーフの試合を3回くらいやった。最後はOB戦になって、明大からは僕と伊集院が出場した。雑草の多い泥だらけのグラウンドで、スパイクの持っていない奴は裸足でやったり地下足袋でやったり。それにしても感心したのは、みんなよくジャージーだけは焼失しないで持っていたってことだ。
戦争の苦しみや悲しみも、まだまだ僕らの心に深くこびりついて離れなかった。でも、楕円のボールが大地に転がるのを見て、「ああ戦争はやっと終わったんだな。これで俺たち、またラグビーがやれるんだな」って、そう思ったら自然と勇気がわいてきた。この一戦がきっかけとなって、僕らも、ますます復旧活動に望みがもてるようになってきたんだ。
激動の時代を生き抜き、そしてラグビーに青春の情熱と命を燃やしてきた証に、誰からともなく本格的なラグビー場を自分たちの手でつくろうという話が持ち上がった。それまで日本にはまだラグビー専用のグラウンドがなく、慶、早、立教、東大、明治の5大学が中心となって、それぞれの関係者が建設用地を探しに走り回ったんだ。そうしているうちに、明大OBで毎日新聞記者の伊集院浩が、たまたま神宮外苑を通りかかった時に、ドラム缶が無造作に放置されている空き地を見つけたんだ。詳しく調べてみたら、今の青山女子学院の跡地だった。
それで折衝を重ねて土地を借り、東大OBの岡田秀平さんの口ききで鹿島建設に工事を引き受けてもらうことになった。一番困ったのは、やはり資金だった。用地も請け負い業者も決まったのに、肝心の資金のメドが全く立たなかった。「無理だ。もうあきらめよう」という意見もないわけではなかったが、「金なんかなくても、心意気でつくるんだ」って頑張ったんだ。みんなで集まっては何度も何度も話し合ったものだった。結局、慶早立東明の5校で20万円ずつ集めることに決めたんだ。その後、法政と一橋の計7校も仲間に加わって、資金集めが始まった。
各大学OBが熱心に資金を集めるかたわら、学生たちはグラウンドの土盛りや杭打ちを手伝った。グラウンドから大きなコンクリートの固まりが出てきて、予定外の費用がかかったり、何度も挫折を繰り返したけど、みんなのラグビーにかける情熱が不可能を可能にしたんだ。
こけら落としには、明大OB対学生選抜、明大対東大が行われた。この時の感激だけは、生涯忘れない。個人の大きな力でなく、大勢の小さな力が集まって、やっとの思いで作り上げたラガーマンの城なんだ。
昭和28年、ラグビーを心から愛し、グラウンドの建設に尽力して下さった秩父宮殿下の逝去を偲び、ラグビー場の名称は「東京ラグビー場」から「秩父宮ラグビー場」と改称された。何千、何万ものラガーマンたちの熱い血と心の通うノーサイドのグラウンドは、僕の命の一部分なんだ。

最近、忘れかけていた「誇り」という言葉を思い出す。
いまの時代を生きるぼくらに、20万円の重みは理解できないけれど、
こんな立派な先輩たちが愛したスポーツに携われたことは幸せだ。

選手、観客にとって素晴らしいスタジアムとは、
斬新なデザインの屋根がついている場所なんかではなく、
こんな思いや情熱の詰まった場所なのだと思う。

元総理を説得できるのは現職の総理だけだ、なんていう話は、
このスポーツとは無縁のことなのだ。