第30回全日本トライアスロン宮古島大会

4/18(金)

宮古島への直行便はチケットがとれず、前日の就業後に羽田発20時の便でまず那覇入り。
初めての沖縄本島だというのに、滞在わずか10時間。
それも、寝て、起きて、朝ご飯食べただけ。
さよなら、那覇
また3日後に2時間だけ寄ります・・・

10時発の便で那覇から宮古へ。
やたら健康そうな乗客ばかり。
隣の席のスーツ姿のおぢさんに「トライアスロン・・・ですよね」と声をかけられる。
「ゼッケン何番ですか。日曜は、ゴールで応援していますから、必ず帰ってきて下さいよ」
この週末は、島全体がレース中心で動くんだな。
ありがたいことです。

宮古空港着。
気温は25℃を超えているが、空気が乾燥しているせいか、首都圏の夏の気候ではなくハワイみたいなカンジ。

空港まで会社の宮古島事業所のTさんとMさんが迎えに来てくれる。
事業所の人たちは、みなさん温かい方たちばかりで、この人たちが応援してくれるんだったら、絶対に完走できそう、って思う。

昼食がてら、Mさんにレース関連の主要ポイントを案内してもらう。
絶妙な味付けの宮古そばを食した後、かつてこの大会を目指し、トライアスロンのレース経験のあるMさんに、教科書には載っていない地元の人しかわからないアドバイスをもらう。
トライアスロン経験者じゃない人が聞いたらわけのわからないディープな話で楽しくドライブ。
楽しみつつも、雰囲気に流されて舞い上がらないようにしないとな。

「でも、rugloveさん、なんだかすごくリラックスしてますね。」

あっ、すみません。
久しぶりの助手席で、あんまりキレイなとこなんで、すっかり、旅行気分になってました(汗)

・・・

午後は、ゴール地点の宮古島陸上競技場の隣にある体育館で選手登録。
ここで、地元のトライアスリート仲間(以下、宮古の会)4名と合流。

いつものレースでは、帽子は被らないんだけど、強い陽射のなかを5時間近く走るんだということに、今更ながら気づき、メッシュの帽子を購入。
お店がたくさん出ていて、けっこう楽しい。
苛酷なレースに臨む緊張感ゼロ。
大会ロゴの入ったポロシャツも購入。
もしリタイヤしたら、これ着るの後ろめたいな、なんて、ちょっとネガティブな思いがよぎる。

開会式後のパーティーを早々に抜け出し、出場5回目のSさんオススメの焼き肉「琉宮苑」へ。
たぶん、トライアスリートって、鶏肉と野菜と雑穀しか食べないようなストイックなイメージがあると思うんだけど、ぼくの周りの人は、よく飲み、なんでもよく食べる。
たらふく肉を食べて、締めは炭水化物。
始発電車に乗り今朝の直行便で着いたCCさん、Lさん、かずさんは、かなり眠そう。
翌朝の試泳、大丈夫かな。

店を出て、満腹のおなかをさすりながら、空を見上げ、星の多さにびっくりする。

来たんだな、宮古島に。



4/19(

この日は、宮古の会とは別行動。
自転車を組み立てた後、大学のラグビー部の後輩が経営するダイビングショップ
山本大司潜水案内」に遊びに行く。

小学生の息子たちが、宮古高校のラグビーの練習に行っているところだというので、見学に行くことに。

部員数は8名と少ないけど、花園にかける思いは、本土の強豪校に負けていない。
日本最南端のラグビー部、熱いです。

昨年の予選では、13名で1回戦を突破(相手はもちろん15人)。
応援したいラグビーチームがまた1つ増えたよ。
このチームが花園に駒を進めたら、仕事を休んででも応援に行かないといけないな。
山本家の二人の息子たちは、高校生たちとタッチフットをやっただけなのになぜか泥だらけ(笑)

・・・

練習後は息子も一緒に「腰原食堂」でお昼。

いい選手はよく食べる。
でも野菜を後回しにして残しそうな雰囲気だったので
「スポーツ選手は野菜も食べなきゃだめだぞ」
と注意したところ、山本家の家訓は
「野菜の入るスペースがあるなら飯と肉を食え」だそう。
「訂正。ラガーマンは肉だ。
 将来、おぢさんと一緒にトライアスロン
 出るようになったら、 野菜も食べような」

帰り際、隣の席にいた人たちから
「明日、頑張って下さいね。応援、行きますから」
と声をかけられる。
なんだか、ホームなカンジだなぁ。

別れ際、大司から
「rugloveさん、なんだかすごくリラックスしてますね。」
と、言われる。
あれ、デジャヴ?
「いやぁ、レース前ってけっこうぴりぴりしちゃう人多いんすよ」
「まぁ、記録ねらってるわけじゃないし、せっかくの宮古なんだから楽しまないと」
「そうですよね。楽しく走るのがいちばんですよね。じゃあ、明日、頑張って!」

・・・

午後は、スイム会場の東急リゾートで自転車の預託。
いつも思うのだが、会場で見る他の選手って、なんで速そうに見えるんだろう。
まぁ、実際に自分より速い人が大多数なんだけどね。

ああ、明日、もうレースなんだなぁ。

夕方はドライブがてら、バイクコースの下見。
どうも観光気分が抜けない。
夕食は前日の昼も行った来間大橋たもとの「蜃気楼」へ。
会計をして、店を出る時、店員さんに
「明日、頑張って下さいね」と声をかけられる。
手首に巻いた計測用チップは、明日の主役の印。
宮古島、もう完全にホームです(笑)



4/20() レース当日

7時のスタートに合わせ、3時に起床。
いままでラグビーの試合でも、フルマラソンのレースでも、トライアスロンのレースでもそんなことなかったんだけど、さすがにこの日は、よくねむれなかった。

昨年の夏から傷めている左足首にそっと触れてみる。
とりあえず、13時間半くらいは大丈夫なカンジ。
冬の間、21km走やロングライドの度に、鈍い熱を持っていやな存在感を示していた箇所。
そして2週間くらい前から、違和感を感じている両膝にニューハレVテープを貼って準備完了。
機能性ウエアやサポーターの類に頼らない、
という美学は、今日だけは忘れることに。
自分のカラダの一部なんだけど、今日1日だけは、もってくれよ、と心の中で語りかける。
もうこれで、目覚めたときに、レースに出られなくなるくらい致命的に痛くなってたらどうしようと不安に怯える事もないのだな。

出場許可通知が届いてからは、トレーニングを休んだ日はあったけど、気持ちは、常に張りつめていた。
特別な1日の始まり。
静かだな、と思う。
この日の為に、かなりの時間を割いて、少なくない無理をしてきた。
燃え上がる闘志は、とりあえずない(笑)
なんでこんなに穏やかな気持ちなのか不思議なくらい。
未知の距離への挑戦。
いままで経験したことのない出来事が、これから始まるというのに。

4時、月明かりの中を大荷物を抱えバス停まで歩く。
本当に静かだ。


【swim 3.0km】

レースで泳いだことのある距離ではないけれど、水泳だけを単独で練習する時は5kmくらい泳いできたし、距離に対する不安はない。
ただ1500人以上の一斉スタートは、ノープレッシャーというわけにはいかない。

スタート5分前。
周りの人たちの表情が、輝いている。
みんな、この日の為に、暑い夏の日も寒い冬の朝も、地味で単調な有酸素運動を積み重ねてきたんだもんな。
言葉では説明できない連帯感。
いま、ここにいるということは、特別なことなんだ。
ふいに景色が滲み、あわてて青空を見上げる。
たぶん、いま、ここ数年でいちばん澄んだ目をしている気がする。

スターターは安部首相の奥様。
今年から優勝者には内閣総理大臣杯が手渡されるらしいが、自分にとっては、あまり意味のある情報ではない。

号砲が鳴る。
ずっとずっと待ちわびた
特別な1日。

・・・

横にかなり広がっているとはいえ、1531人のスタートは、ものすごい人口密度。
600m地点の第1ブイまでは、いままで経験したことのないバトルが続く。
両サイドからのしかかられて、沈められそうになったりしたけど、あっ、これはブログに書かなければな、なんて考えられるほど冷静。
手賀沼と違って、ほぼ透明なので周りの選手の様子がよくわかる。
流れにのって、だんだん自分のペースになってきた。
ようやく人数が絞られてきたなと思って、久しぶりにヘッドアップしてみると、前方に選手の姿はなし。
第1ブイはずいぶん後ろに。
数名の集団でコースからだいぶ離れた模様。
やれやれ。どこが冷静だよ(苦笑)

1700m地点になる第2ブイまでは、
だいぶ混雑も緩和され、潮の流れに乗り順調に。
図々しくも、いちばんインコースを進み、さきほどの余計に泳いだ分を取り戻す。
第1ブイに比べ、第2ブイは意外と近かった。
感覚的には、スタートから30分も経っていないカンジ。

ただ、このターンからは潮流が逆で、海の底をみていても、かいてもかいても進んでいない。
それでも、焦らずになんとなく楽しめているのは、視界の先に、小さくてキレイな青い魚がたくさん泳いでいるせい。
とりあえず、この記憶が少し薄れるまでは、手賀沼東京湾は、泳ぐ気がしないな〜。

いつまでたっても大きくなってこない東急リゾート
スイム3kmは、オープニングセレモニーくらいに考えていたけれど、浮力があるとはいえ、やっぱり海での泳ぎは難しい。
それに後半、ずいぶん抜かれているな。
ようやく浜が見えてくる。
体内時計は50分くらいだけど、スイムアップは1時間8分。1133位。
予定では1時間を少し切るはずだったんだが・・・

浜からあがり、東急リゾートの敷地内をトランジッションへと向かう。
すごい数の応援のなかををぬうように走る。
トップクラスの選手になったかのような錯覚。
1時間以上真横の姿勢から、急に縦になり、ちょっとふらふらするけれど、テンション上がるわ〜。
慣れないキレイな海で、かなり消耗したけど、レース全体からみたら、まだ12分の1くらい(笑)



【bike 155km】

この時点では当然、順位はわかっていないんだけど、たまたま自分の周りにかなりの数の自転車があったので、けっこう速いのかなと変な勘違いをする。
600番台?悪くても700番台だろうな、と。
まさか1100番台とはね・・・

・・・

東急リゾートのなかを疾走し、一般道へ出ていく。
前々日のMさんのアドバイスを思い出す。
「応援が多いからって、ここで舞いあがったらペース乱しますよ」
たしかにそのとおり。ここは舞いあがりたくなる(笑)

さぁ、夏本番の南の島で、長〜いランチタイムが始まる。

故障している膝に負担がかからないように、軽めのギアを選択。
平地は30kmオーバーで行きたいところだけどしばらくは様子見。
とりあえず街中は、心を折りにかかるような強い風は吹いていない。
生真面目な性格なもので、ついつい信号を守りたくなる。
そういえば、コースのほぼ全部が公道のレースって初めてだな。

とにかく応援が多いのが嬉しい。
歩道から「ワイドー」(がんばれ)って言われると、「ありがとう」って、ついつい手を振って応えちゃう。
毎回、毎回だとけっこう体力使うけど、トータルで考えたら、元気をもらえている気がする。

平良の町あたりで、はじめての上り。
痛めている膝へのダメージを最小限にするために、いちばん軽いギアにして回転数で登る。
ううっ、遅い・・・。
henhaoさん、ぼくはヒルクライムには向いてなさそうだよ(苦笑)

最初の坂を登り切り、ココストアの角を曲がったところで、山本家の大声援を受ける。
「rugloveさん、がんば〜!ワイド〜!」
しかし、応援っていうのは、なんで、こんなにも力になるんだろうな。
ロッカールームで部歌を唄ったときのように血がたぎる。
まだ、レースは始まったばかりだけど、絶対に、絶対に、最後まで行くぞと心に誓う。

後に控えるランニングのために、いかに補給をしっかりするかもバイクの重要なポイント。
池間島方面へ向かう長い坂を下りながら、1つめの大福を食す。
日本人は、やっぱり和菓子だ。
60km/hで坂を下りながらのこしあんは最高。

池間大橋からの景色を楽しむ余裕はある。
しかし、贅沢なコースだな。
意外にアップダウンの多い池間島を1周し、島の北側の道を東平安名崎へ向かう。
同じようなペースで走っている見覚えのある人たちと、抜きつ抜かれつを繰り返しているうちに親近感がわいてくる。
こういうアップダウンの多いタフなコースは初めて走るのだが、上りで順位を落とし、下りで順位を上げるパターン。
単純に体重のせいかもしれないんだけど、もしかしたら、近藤史恵の小説に出てくるチカみたいに下りのセンスがあるのかもな。

50km地点を過ぎ、150kmの表示を過ぎると、1週目はまっすぐ、2週目は右折の看板が出ている。
もうすでに2時間近く走っているんだな。
天気予報で気温27℃って言ってたけど、直射日光とアスファルトからの照り返しは、なかなか厳しい。
風があまり強くなくて、乾燥しているのが救いだな。
今度、ここに戻ってくるとき、どんな状態なんだろう。
どこも痛くなくて、スタミナ十分だったらいいのにな(笑)

もうすぐ東平安名崎の灯台
70kmくらいだからほぼ半分に近い。
ここで宮古会のかずさんがスタンバイしているはず。
今回かずさんは、応援のために宮古島に来ており、まぁ、ある意味、いちばんうらやましい(笑)
あっ、一昨日買った蛍光オレンジのTシャツ着てる。
岬の入り口であのシャツは、目立つな〜。
灯台を折り返し、岬の出口へ。
写真を意識して画になりそうなDHポジションをとる。
でも、そこにいたのは「フゥ〜〜〜■〜○〜▲〜※〜」って、
国籍不明の陽気な外国人みたいなテンションのかずさん。
せっかくいいカメラ持ってるんだから、拳ふりあげてないで写真とってよォ〜。

75kmすぎから80kmあたりは、このコース最大の難所。
おまえはストロングマンになる覚悟が本当にあるのか、と試すような、長い激坂がいくつも続く。
手前の下りで加速して行くが、その勢いも長くは続かない。
すぐに時速10kmのタフなレッスンに(汗)
で、ここで痛めていた膝が強烈に存在感を示しだす。
まだ、バイクパートが半分残っているというのに。

ただ、いくつもの坂を上っているうちに、なんだか楽しくなってくる。
もちろん、痛みは消えないのだが、脳の中で、何かそういう物質が出ているんだろうな。

で、最後のいちばんキツい坂で喘いでいると、坂の途中に、見覚えのあるスクラムハーフ体形のおやぢが。
山本家の人々、ここまで来てくれたんだね。
「楽しんでますぅ?」
いや、見ればわかりそううなものだが。
でも、本当にちょっと楽しくなってきたところだったので、
宮古島、最高だよ!」と応える。
まだ元気だよ、ということ示したかったのだが、やけをおこしているようにしか見えなかったかな。
なので、確認のためにもう一度叫ぶ。
宮古島ぁ、最高ォ〜!」

最後までベストの状態を維持したかったが、意外に早くハンデを抱えることに。
でもまぁ、これがロングのレースなんだろうな。
ランでどうなるかはわからないが、自転車に乗っている分には、致命的なダメージではない。

先のほうがにぎやかだな、と思ったら、中学校の前でたくさんの生徒が並んで
「笑って!笑って!笑って!」
「笑顔!笑顔!笑顔!」
とコールをし続けている。
長い列の前をとびきりの笑顔で、「GOOD JOB」の合図をしながら駆け抜ける。
サングラスも外したいくらい。
コールが拍手と声援に変わる。
あぁ、やっぱり、宮古島、最高。

・・・

バイクの最初の関門、100km地点を通過。
いまのところ制限時間に追われる感じはない。
どこまで、足がもってくれるかだけど、考えてどうにかなるものでもないので、フォームだけ意識して、なるべく踏み込まないように淡々と進む。

1週目を終え、東急リゾートに帰ってくる。
補給も順調。バイクパート、あと1/3か。
いまだに集中力は切れていない。
ふだんの練習でいかに手を抜いているかがわかったよ。

精神的なものもあるのだろうけど、2周目に入り、少し疲労感が出てくる。
このあたりは、1周目は何kmくらいだったな、という記憶よりだいぶ遅いスピードになっているが、もう4時間も漕ぎ続けているんだしね。

二度目の池間島の出口でトイレ休憩。
隣になった人と短いおしゃべり。
「暑くなりましたね」
「ええ、ランがおもいやられますね」
「でも、時間的に余裕があるのが救いですよね」
「この時間なら自転車でそう無理しないでよさそうですもんね」
朝の7時から、ずっと同じ体験をしてきて、バイク130km地点のトイレで隣り合わせる。
いま、日本中でいちばん話が合うのはこの人だと思う(笑)

・・・

長い長いと思っていた、バイクパートもあと少し。
応援の少ない島の北側を走りながら、少しだけ感傷的になる。
風の強い海沿いの工業地帯にある往復5kmのコースを、どこにどんなマンホールがあるかを完璧に覚えてしまうくらい何周も何周も走りこんだ日々が、今日という日ににつながっているのだな。

とてつもなく速い人にも、ぼくのようなマイペースの選手にも宮古島の風は平等だ。
風を切って走っていると、自然に対しての人間の小ささを感じる。
疲労もたまってきて、ちょっと飽きかけたりしているけど、いま、この瞬間、この場所を走っていることって、実は、奇跡みたいなことなんだよね。

あと5km。
周回コースに別れを告げ、陸上競技場に向かう。
なんとか、たどり着いたな。
3km泳いだ後に、自転車で155kmを走る。
練習中は、あまりうまくイメージ出来なかったことが、いま、現実に起きている。
14時44分、バイクフィニッシュ。
バイクパートは6時間35分。
やっぱり、膝が痛みだした後半はけっこうキツかったね。

・・・

バイクをラックにセットし、着替えテントへ。
デンジャラスノッチがバイクフィニッシュしたと放送が入る。
ノッチより前にいるのかぁ。
芸能人より早くゴールするというわかりやすい結果になったら、きっと妻が喜ぶな。

完走5回のベテランSさんのアドバイスとおり、ウエアを上下とも着替えてリフレッシュ。
足首にたっぷりサロメチールをすり込み、ひざのテープを剥がしてサロメチールを塗るか、テープをしたままいくのか迷っていると、ボランティアの男の子に
「何かお手伝いしましょうか!」
と、声をかけられる。
「ああ、大丈夫、大丈夫」
よほど、思いつめた顔で、悩んでいたんだろうな。
先はまだ長い。
テーピングはやっぱりそのままにしておこう。

着替えのために一度腰かけてしまったら、正直、立つのが嫌になる。
暑さ、疲労、足首と両膝の痛み。
数秒間、途方に暮れる。
この状態で、これから42.195kmって・・・
ラソンのレース当日、朝起きてこんな状態だったら、
間違いなく家で寝てるよ(苦笑)


【run 42.195km】

意を決してランコースへ。
スタートしてすぐ、事業所のTさんが応援してくれている。
これは心強い。ここは元気に「行ってきま〜す」と笑顔。
数分前にずいぶんと弱気になっていたことを反省する。

走りだすとすぐに2位の西内さんが帰ってくる。
けっこうキツそう。
それはそうだよ、この暑さだもんな。

山本大司潜水案内の前を通過。
氷を配る私設エイドを構えている。
ありがとうございます。
「いってらっしゃい、競技場で待ってますよ」
「うん、7時半くらいには戻るよ!」
これは、結果的にはうそになるのだが(苦笑)

街中の下り坂で、何人かの選手をパス。
キロ7分を維持したいが、普通の状態ではないので、どのくらいのペースで走っているのか見当もつかない。

3km地点で時計を見ると21分を少し切るタイム。
想定通りのいいペース。
衝撃を受けないピッチで淡々と進む。
この地点を近藤真彦が30分ほど前に通過したという放送が聞こえる。
妻のがっかりした顔が目に浮かび、少しだけ凹む。
まあ、いいや。歌のうまさでは自分のほうが勝っているし。

5km過ぎからはゆるやかな上り。
疲労と痛みはあるが、バイクの間、定期的に補給食を摂っていたせいか、エネルギー切れの感じは全くしない。
でも、足が最後までもってくれるかは、わからない。
陽はまだほぼ真上。給水はすべて摂るようにする。

10kmを過ぎ、なかだるみしそうになるが、途切れない応援と、私設のエイドに支えられ、
なんとかキロ7分を維持。
でも、さすがに声援に手を振る元気は残っていない。
ずっと、水とスポーツドリンクを飲み続けていたので、私設エイドの麦茶のうまさに感動する。
カラダが欲していたんだろうな。日本の夏は、麦茶だ。

途中、横浜市協会の元ラガーマンUさんとすれ違う。
すごく元気そう。
昨日会った時、ロングのレースは必ず1回や2回はリタイヤを考える瞬間があるって言ってたけど、リタイヤなんてまるで無縁って感じで楽しそうに、いいペースで走っている。
いいなぁ、もうすぐゴールで。

ゴールまでの距離がうまくイメージ出来ないこのあたりで、事業所のAさんが応援してくれていた。
「rugloveさ〜ん」って呼ばれたんだけど、
ちょっと朦朧としかけていて、Aさんと気づくのに時間がかかる。
でも、これでかなり回復。
単純だなぁ。

でも、その後、15kmあたりでペースががくんと落ちた。
キロあたりのラップが8分近くなる。
いま思えば、この時間帯がいちばんピンチだったかもしれない。
エイドで氷をもらって帽子のなかに入れているんだけど、それでも暑さと疲労で頭が朦朧とする。
イメージできないゴールまでの距離。
加えて下半身のあちこちの痛み。
給水では追いつかず、軽い脱水にもなっているだろう。
止める言い訳は山ほどあるけど、そのどれもこのチャレンジを投げだす理由として、納得できるものではない。
ただ、カラダも心もけっこうまいっているこの時間帯だが、自分のなかにリタイヤの選択肢はまったくない。
たとえ、関門に引っ掛かったとしても、最後まで止まるつもりはない。
あれだけの練習をやってきたのだから、何とかなるはずだという楽観。
それに、いま、ここを走っているのは自分ひとりだけど、ここまで来たのは自分だけの力じゃない。

走ってきた距離と残りの距離を何度も何度も計算しながら、とうとう折り返しが近くなってくる。

何か心の支えがないと前に進めなくなっている。
もう少しで半分という想いだけが、足を動かす。
折り返し点が見えた。
ついに、という感じ。
もう42からの引き算は飽きたよ(笑)

・・・

折り返しを過ぎても、エイド以外では、立ち止まることも歩くこともせず、ぼくは走り続けていた。
それは、べつに美学なんかじゃなく、立ち止まったり歩いたりしたとたんに、ずるずると崩れていくような気がしていたから。
屈伸をしたり、ストレッチをしたりすれば、一時的に回復することはわかっているけど、たぶん、こわかったんだろうな。

たいていのレースは終わった後に、タイムには関係なく
「もっとやれたはずだ」とか「負けた」と思うのだが、
このレースは、たとえ結果がリタイヤだったとしても
「出し切った」「勝った」と総括しなければならない。

・・・

30km手前でAさんと会う。
この距離、この時間帯。後光が差している(笑)。
大丈夫ですか、と言われてだめですなんて言えるわけがない。
ポカリスエットの500mlのペットボトルを受け取り、ウエアの背中にねじ込む。
これで、この後のエイドは2つくらいパスできる。
ゴールまでの距離が少しだけ縮まった気がする。

30km。
ボランティアの人たちが拍手で迎えてくれる。
関門までは、まだかなりの時間があるが、いまのペースと足の状態を考えると油断は出来ない。
この頃になると、残りの距離と時間とで、何度もゴールタイムのシュミレーションをするのだが、時速7kmとキロ7分がごっちゃになってしまって、なかなか答えにたどりつかない(汗)

あと10kmと少し、何か予想外の事が起きなければたぶん大丈夫だろう。
膝の痛みは、確実に増しているが、ロングが痛みとの闘いになることは、ずっと前からわかっていたこと。
それにいまここを走っている人で、どこも痛くない人はまずいないだろう。
前に行くことを止めなかった者には、たぶんステキなプレゼントが用意されている。
フォームとかピッチとかもう関係ない。
理論のその先にある「根性」を信じるしかない。
トライアスリート気取りでいたけれど、やっぱり、根は昭和のラガーマン(苦笑)

35kmの関門を通過。
県道に出ると、そこはゆるやかな長い下り。
あぁ、これも神様からのギフトだね。

沿道の応援の人が多くなってくる。
「おかえり〜」という優しい声援が多くて、
ちょっと涙腺があやしい。
道端でいすに座っているおばあさんに手招きをされて握手。
すごく、あったかい手。
「おかえり、ここまでよく頑張ったね」

ここで完全に涙腺がこわれる。
ずっとガマンしてきたけど、もう、だめ・・・。
まだ、終わっていないのにぃ(苦笑)


競技場のほうで花火が上がっている。
えっ、まさか競技終了の花火?
そんなはずはない。
まだ8時半じゃないよね。
(後で知ったのだが、終了1時間前にも花火があがるらしい)
県道から街中へ向かう畑のなかの道は街灯も少なく、また年齢的なものもあって時計がよく見えない。
並んで走っている人に、時間を聞いてみる。
「いま7時半ですね」
よかった、まだ1時間ある。
「このペースなら、間に合いますね」
「そうですね、あと6km切ってますもんね」
冷静に残りの距離と時間について語っているが、本当は、こういいたかったのだ。

「ぼくたち、ストロングマンになれるよね」

いま、日本中でいちばん話の合う人との会話を楽しんでいると、前の方から名前を呼ぶ声がする。
「rugloveさ〜ん。あと少しですよ〜。」
心が折れそうなとき、沿道で何度も救ってくれたAさんが、お子さんと一緒に手を振っている。
ほんとうにありがとうございます。
声援って、なんでこんなに力になるんだろう。
カラダの中に水分なんて残ってないはずなのに、目頭が、ちょっと熱くなる。
「競技場で待ってますから〜」
ああ、勝利の女神って現存するんだな。

併走していた人が笑顔で言う。
「これは、何としてもゴールまで行かないといけませんね」

そう、ぼくには
負けられない理由がたくさんあるんです。

・・・

37km地点のエイド。
膝が限界。
もう水とか食料はいいけれど、とにかく膝に冷却スプレーをかけたい。
水です、スポーツドリンクです、というボランティアの横を通り過ぎ、いちっばん奥にあるメディカルのところへ。
「すいません、両膝、スプレーお願いします」
そこへ、マイクを持った女子アナが。
宮古テレビ?
好みのタイプかどうか確認する余裕はない。
「いま37kmのエイドステーションです。
 こちらに足の治療をされている方が
 いらっしゃいますのでお話を聞いてみます」
あっ、なんかリアル。
いま映ってるのかな。
「どうですか。ゴールまであと5kmですけど、大丈夫ですか。」
「沿道の応援がすごいので、何とか頑張れそうです」
うわっ、なんかディレクターがいちばん求めてる
100点のコメントじゃない?(笑)

あと4km。中心街に戻ってきた。
ものすごい数の応援。
宮古島にこんなたくさんの人がいたんだ。
「お帰り〜」
「あと少しだよ〜」
「ワイド〜」
足は痛いし、スピードも遅いけど、
もう無敵の状態。
こんな楽しいレースっていままでなかったな。
商店街の両サイドの人たちに手を振りながら走る。
ありがとう。ありがとう。
あぁ、さっきまであんなにキツかったのに、なんだかいまはどこまででも走って行けそう。

最後のエイドステーション。
ここまで、自分の事ばかり書いてきたけど、この大会はボランティアの人たちがほんとに素晴らしい。
コース上の係の人も、エイドの人も、ほんとうに選手のことを力強く支えてくれる。
そして、こんな遅い時間なのに、アイテムを切らすことなく万全の体制で迎えてくれる。

あと少し。
いままで封印していたコーラを一気飲み。
カフェインなんかとらなくても、
そうとうテンション上がっているけど。

スタートした時と同じ場所で、事業所のTさんが待っていてくれる。
ありがとうございます。
長い時間、お待たせしました。
まさか、そこで5時間以上立っていたわけじゃないですよね。

競技場が近づいてくる。
かなりの人が足をひきずるように歩いている。
13時間を過ぎているけど、ぼくはまだ走っていた。
ゴールすることが、このチャレンジの終わりを意味する事に、少しだけ寂しさを感じながら。

たくさんの応援の人たちに背中を押されながら、宮古島陸上競技場のゲートをくぐる。
これが、あの有名な8時半で閉められてしまう門だね。
本当に帰ってこられたんだな。
煌々と輝くカクテル光線。
ここだけが別世界のようだ。
また、こみあげてくるものがある。

「あっ、rugloveさんだ!」
ラグビー日本代表のジャージを着た山本Jrたちが駆け寄ってくる。
うん、なかなか似合ってるゾ。
「お父さ〜ん。rugloveさんが帰って来たよ〜」
駆け寄ってくる元スクラムハーフ
予定よりちょっと遅かったけど、
お約束どおり、帰ってきましたぜ。
公衆の面前だけど、いいおっさん二人ががっちり抱き合う。

このチャレンジは、
もとはと言えばコイツの一言から始まったんだ。
大司、ありがとう。
ここは、宮古島は・・・・天国だよ。

誰かが抜いて行ったけど、順位なんてもうどうでもいい。
ここは何かを競う場所じゃないからまったく気にならない。

Jrたちと手を繋ぎ、第4コーナーを回る。
フィニッシュゲートが見えてくる。
13時間以上、あそこにたどり着くことだけを考えてきたけど、いまは、この時間が永遠に続けばいいと思っている。


         (26:37あたり)

笑顔でゴールしようと思っていたけど、やっぱりだめ。
美し過ぎる風景がぼやける。
ゲートをくぐり、
万感の思いを込めて、
フィニッシュテープを高々と掲げる。
コースを振り返り一礼。
長かったようで短かった200.195km。
自分ひとりの力では、
絶対に、ここまで辿りつけなかった。
金メダルが首にかけられる。
いろんな意味でずしりと重いメダル。

13時間11分44秒。
ランラップ5時間27分22秒。
総合1114位。エイジ151位。
完勝。

フィニッシュテープの向こうに見えたのは
「感謝」だ。
支えてくれた人、応援してくれた人、
このチャレンジに関わるすべてのものへの。
そして、それは
完走したから手に入れられたものではなく、
スタートラインに着くずっと前から
手にしていたものだったんだ。

・・・

ゴール付近はたくさんの人でごったがえしている。
CCさん、Lさんに久しぶりに会う。
ぼくより年上のこのおっさんたちは、明るいうちにゴールしたらしい。
ベテランのSさんは本調子じゃなかったみたいだけど、1カ月後の横浜でその悔しさを晴らしてくれるだろう。

コース上で何度も声をかけてくれたAさんが見つけてくれて、かわいいお子さんたちが、キレイな花のレイをかけてくれる。
「ありがとうね。」
足が痛くて同じ背の高さになるのはちょっとキツいけど、幸せすぎてどうにかなっちゃいそうだよ。

いつまでも、
みんなと
今日起こった出来事を話していたい。


この楽しかったチャレンジが
もう終わってしまったことに
戸惑い、
馴染めないでいた。



そして・・・



レース終了を告げる花火があがる。

2014年4月20日
沖縄県宮古島市
宮古島陸上競技
20:30

この花火の美しさは
たぶん一生忘れない。
もっとも、その美しすぎる画は、
途中からぼやけてしまったのだが・・・


・・・


競技場から宿舎まではTさんが車で送ってくれた。
「ずっと、ネットで通過時間を追っていましたけど、
 最後、どんどんペースがおちてきて
 どうなっちゃうかと思いましたよ・笑」
うわっ、優しい顔して厳しいこと言うなぁ。
「ところで、看板気づきました?」
えっ。
「ぼくが立っていたところの近くに、
 事業所のみんなで作った
 看板が飾ってあったんですよ。」
ええ〜っ、そういう大事な事は事前に言って下さいよぉ。
「ははは、明日、自転車とりに行くときに見て下さい。」
事業所の人たち、どこまでもさりげなく優しい。
また、ちょっと泣きそう・・・

車内のBGMは安室奈美恵だけど、
頭の中では、葉加瀬太郎
情熱大陸のエンディングテーマが流れている。
で、窪田等さんのナレーションがこう締めくくる。
トライアスリートruglove2019、まだ夢の途中・・・」

・・・

携帯メールとfacebookのメッセージはすごいことになっている。
直属の上司からのお祝いメールも。

大司の奥さんがfacebookにゴールシーンの動画をUPしてくれていて、その画像が、ちょっとした感動を呼んでいる。

まず、数億円稼ぐわけでも、何千本のヒットを打つわけでもないぼくのために糖質を控えて、野菜とタンパク質中心のメニューを用意し続けてくれた妻に伝えたいことを2つだけ書いた短いメールを送る。
今回、唯一後悔することがあるとすれば、家族を連れてこなかったことだな。

かずさんの撮ってくれた金メダルを手に笑っている写真をfacebookにUPして、はてなに短い文章をUPする。

もうすぐ日付がかわり、特別な1日が終わる。
カラダは疲れきっているけれど、まだ眠りたくない。

ぽこぽこと切れ目なく入ってくるfacebookのタイムラインを見てにやにやする。
ゴールではうまく笑えなかったけど、
1日の最後は笑顔で(笑)


・・・



翌朝、Mさんの運転する会社の軽トラで、自転車をとりに行く。
Mさんは、金曜日にぼくが「目標は12時間」と言ったので、7時前から競技場で待ってくれたそう。
で、ぼくがいつまでたっても帰ってこないので、そのうちお子さんが飽きてしまい帰ってしまったそう。
いやぁ、遅くてスミマセン。

途中、件の看板のところに寄ってもらう。


「 海、風、太陽、熱き思い君を待つ
    OOOO 祝 初出場
 OO株式会社宮古島事業所職員一同 」


ああ、ステキなメッセージだな。
昨日は、気付かなかったけど、ここでも支えられていたんだ。
鼻の奥のほうが、少しツンとする。

「事業所の人に写真撮ってくるように言われてるんで、
 そこに立ってもらえますか。」
うん、それはいいんですけど、このうるうるがおさまるまで、少しだけ待ってもらえますか。

トランジッションエリアは、ほとんどの自転車がなくなっていて、昨日の興奮がうそのようだ。
このお祭りも、終わってしまったんだね。

事業所に戻り、梱包のために自転車を分解する。
エイドでもらったストロングマンのボトルを外しながら、ふと思うところがあって、いまはもう自転車には乗っていないというMさんに聞いてみる。
「また、自転車に乗る事ってありますか」
「いや、わかりませんけど」
「もし、また自転車にのることがあったら、これ使って下さい」
本当は、今度は一緒にレースに出ましょうよ、と言いたいけれど、このレースのスタートラインにたつ意味と、そこまでの準備の大変さを理解している人に、そんなこと軽々しく言えない。
でも、この白いボトルは鶴見の工業地帯より、宮古島の風景のほうがきっと似合う。


夢のような4日間が終わり、事業所の人ともお別れ。
「また、トライアスロンか100kmマラソン宮古島に来て下さいね」
ええ、ぜひ。
「それにエコアイランドマラソンっていう42.195kmのレースもありますから」
リケジョのHさんが、選択肢を広げてくれる。
ありがとうございます。


旅の終わりはいつも寂しさを伴うけど、
今回は特別。
事業所のみなさん、宮古島のみなさん、
本当にありがとうございました。


・・・


とても長い時間をかけて準備したチャレンジが終わって、気の抜けたような日常を送っている。
感動をありがとう、というようなことを言われて、少し戸惑ってもいる。
ちなみに、じゃあ次はアイアンマンだ、などという気はさらさらない。
来年もこの大会に出るぞ、というのも、ちょっと違う気がする。
意外に思われるかも知れないけど、実はレースに出ること自体には、それほど執着がない。

たぶん、疲労が抜けて、足が治ったら、首都圏在住の中年アスリートとして、出来ることだけを淡々とやっていく。
地元で行われる大会をマーシャルとしてサポートしたり、東北の被災地のレースに出場したり。

でも、いつか宮古島には帰ってきたいな。


いろいろな形で応援してくださったみなさん、
感動をありがとうございました。