おいで、一緒に行こう

森絵都「おいで、一緒に行こう 福島原発20キロ圏内のペットレスキュー」(文藝春秋)を読む。

立入禁止区域での活動が、正しいのかどうかは別として、何もしなければ消えてしまうはずだった多くの命が救われたのは、保護に奔走する人たちや定期的に餌をやり続けていた人たちのおかげ。
「助けたい」の一心でリスクを冒すこの人たちの責任感はどこからくるのだろう。

傷ついた人たちにとっていまこそ動物たちが心の支えになれるときなのに、それさえも叶わない。
そして、この本の主題ではないけれど家畜の問題は本当に切ないな。
3月に入り、新聞・テレビでは震災関連の特集が目立つ。
でも、マスメディアが伝えない僕らの知らない問題はまだまだたくさんある。

際どい内容を実名入りで発表することを許した
取材対象の人たちの胎のすわり方と
文藝春秋の勇気(この会社、たまに暴走するけど)に敬意。

・・・

ペットレスキューについては、永田泰大さんの「福島の特別な夏」にこんな一節があった。

深夜、福島から帰ってくる道中、 震災直後から動物の保護活動をずっと続けている ミグノンの友森さんに訊いたことがある。
考えても考えても、そこがひっかかったから、ぼくは、友森さんに正面から、こう訊いたのだ。
「きりがないとか、途方もない、という問題に対して、友森さんは、どう折り合いをつけているのですか?」
夜の東北道を見つめながら、まず友森さんは、あんまり考えてない、と言った。
そして、しばらく考えたあと、こうつけ加えた。
「こんなふうに、一匹一匹を保護したり、エサとか水をあげてても、意味ないんじゃないかな、と思うことは、ときどき、ある」
そこで、またちょっと考えて、こう言った。
「でも、動物が目の前にいたら、そんなことは、もう関係ない」
ああ、とぼくは相づちをうった。それで十分な答えであるように思った。
けれども、まだ友森さんは考えていて、そして、もう一度、答えた。
「私は、結果を出そうとしてるわけじゃないし、誰かのためにやってるわけでもない。たぶん、被災地で、残された動物たちを保護するのがたのしいからやってるんだと思う。見つけて、つかまえて、連れて帰って、世話するのって、たのしいから」


・・・「たのしい」って言い切れるのって、「強さ」だと思う。