八月からの手紙

堂場瞬一「八月からの手紙」(講談社)を読む。

1939年から1946年という、けして明るくない時代に出会った
野球を愛する二人の若者の友情を描いたストーリー。
一人は、戦前、日本の職業野球で活躍し、戦時中はアメリカに戻り日本人の血が流れているという理由で収容所生活を強いられる日系二世。
もう一人は、メジャーリーグに憧れながら、黒人だけで構成されたニグロリーグで活躍するホームランバッター。

革がぶかぶかになった古ぼけたひとつのボールが、
二人の気持ちを繋ぐ。

二人にとって、自分たちのいる場所は、
国家としてのアメリカではなく
「野球の国」としてのアメリカ。

実際には、友情というより、挫折のストーリーなのだけど。



物語の終盤で、脇役の夢を掴み切れなかった黒人投手がつぶやく。

「高望みしないことが一番だ。
 俺は楽しく野球が出来ればそれでいい。
 人生に必要なのは、
 睡眠とトレーニングと、
 足の速い外野手だけだ。」

切なすぎて、負け惜しみに聞こえない。



これから読まれるかたのために、詳しいシチュエーションは説明しませんが、
ラストに近い以下のシーンで、電車のなかで鼻をすするはめに。

「日本はどういう国なんだ」
「野球の国だ」
「何だ。だったら、ここと同じじゃないか。
 なぁ、俺たちは今も、同じ国にすんでるんだよな」
「そうだよ、同じ野球の国だ」
「じゃあ、どこへ行っても同じだな」
「日本だって、アメリカだって」

・・・

誰かを幸せにする、正しい戦争なんて存在しないのに、
どうして、世界のどこかで、いまでも争いが続いているんだろう?